2009年8月31日月曜日

8.26 奈良県にて

友廣@大阪です。

あまり更新できていなくてすみません。
いまは旅の経験をまとめるため
筆を取っているのですが
なかなか思うように進まず...悶々としております。

しかししかし
少しずつですがいろいろなことが進んできました。
今まで大阪のことをあまり知らなかったのですが
この数日で素敵なご縁もたくさんいただきました。


さっそく、少し前にさかのぼるのですが・・・
8月25日は東京から関西に出てきて
奈良県立図書情報館の乾さん宅に泊めていただきました。

旅に出る前の1月頭に「自分の仕事」を考える3日間@奈良
というワークショップのイベントがあり、
西村佳哲さんがファシリテーターをされるということで
東京から仲間を集めて参加したのでした。
連日300人超の参加者が集い、東京からも数十人参加しているという
なんだかよく分からないけれど、とっても楽しくて温かくて
たくさんの人と出会える会となりました。

そしてこれを西村さんと企画されたのが乾さんで
いろいろとメールのやり取りをさせていただく中で
旅の途中でも立ち寄らせていただき・・・
今回は自宅に泊めていただくことになりました。

そしてなんとグッドニュースが!

来年1月に行われる「自分の仕事」を考えるでは
プレナイトイベントを行うということなのですが、
1月8日@奈良県立図書情報館にて
「ムラアカリをゆく」の報告会をさせていただけることとなりました!
ファシリテーターは西村さん。
考えるだけでわくわくしてきます!

また告知しますが興味のある方は
日程を空けておいていただければ幸いです。
��東京の方は現在(まだ)検討中です...)

��

奈良では、乾さんに都祁地区という奈良市内から少し外れた
里山を案内していただき、そこで無農薬のお茶や米や野菜をつくる
羽間さんを紹介していただきました。

5年ほど農業生産法人や別の方の畑を手伝っていたそうなのですが
いまは自分の畑や田んぼを持たれて自然農に近い農業をされています。

誰も手を付けなくなった土地を耕し
持続可能な農業のあり方を模索されている羽間さんは
その人柄というか存在自体が温かくて素敵です。

改めて、マスメディアにはあまり乗らない
いまの時代に求めらている「農」のあり方を感じました。

いろいろと今抱えられている課題についてもお話して
今後、ツアーなどを一緒にやりましょうと盛り上がりました。

��

夜は乾さん手作りの本格南欧風手料理をご馳走していただきながら
哲学的なことについて議論しつつ
今後なにか一緒にできる可能性も含めて
いろいろとお話をさせていただきました。

早速つたない企画書もお送りしたのですが
なにかカタチにしていきたいと思っています。

��

奈良は祖母が住んでいて
幼いころから刷り込まれた数少ない「田舎」の一つです。

奈良は京都より地味な印象ですが
その分「消費」されず在りのままが残っています。

ただ、乾さんが言っていた
「文化は動的なもの」という言葉が印象的でした。

そこに存在する"財"を再編集していく中で
人々の中に今の時代の中に文化が定義されていく。
ただ歴史的建造物などを保存する、という
静的なところからは文化は生まれない。

たとて形式的には残っていっても
その中にある精神的なところは抜け落ちてしまう。

これはたしかに全国各地で感じたことですが、
文化を地域と言い換えてみると
地域は常に変わり続けて存在するものであり
旧きものを残すだけでは風化していく。

いつの時代も、過去ではなく「今」の時代を生きる人だけが
地域を紡いでいけるのだということ。
つねにどうあるべきかを考え、対話し、再編集していくこと。

これは大切なことだと再認識しました。


乾さん、そして家族の皆さん
どうもありがとうございました!

旅が続いているような感じですが
こんな感じで一生続いていくのかもしれません・・・◎


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2009年8月24日月曜日

[Press] 朝日新聞(8/22)記事

お世話になっています。友廣です。

8月22日の朝日新聞全国版・夕刊に掲載していただきました。
��地域によっては8月23日朝刊に掲載)

全国では夕刊がない地域も多いらしく
地域によっては朝刊に掲載されていたところもあったようです・・・。
わざわざ買っていただいたかた、すみませんでした!

「見れなかった」という声も多々あったので
ウェブマスター兼康にスキャンしてもらいました。
下に掲載させていただきますので
どうぞご覧ください!


予想以上に大きな記事で
等身大の友廣裕一を(ちょっと良い感じで^^)書いていただきました。

学生時代から一緒に活動してきた仲間に見せても
みんな"らしさ"が出ているといってくれましたし
分かりやすいところだけを切り取りがちな世の中にあって
何度もお会いして人間関係を築きながら取材をしていただけました。
浜田さん、ありがとうございました!


記事を見た方からいくつもメールをいただいたりと
改めてメディアの力を実感した次第です。

ちょっと予断になりますhが
今の時代は新聞→ブログとたどることが出来て
そこからメールをいただいた方とは実際に出会うことが出来てしまいます。
今の時代、インターネットは人とつながるメディアだと感じました。

興味をもってくださった方は
お気軽にメールをいただければ幸いです。
yuichi.tomohiro810(@)gmail.com ←@を半角にして括弧をはずしてください

ぼくが旅で出会った皆さんも(まだほとんど連絡できていませんが・・・)
もしよかったらメールなどいただければうれしいです!

どうぞよろしくお願いします!



0822_asahi_tomohiro_small.jpg

2009年8月21日金曜日

8.21 旅を終えて感じること


ご無沙汰しております!
友廣です。

一人暮らしの家は引き払ってしまったので(苦笑)
友達の家を辿りながら東京放浪中だったりして
相変わらずバタバタしているのですが・・・

旅を終えてからの所感をすこし書いてみました。
よければご覧いただければ幸いです。


また、明日(8月22日)は
朝日新聞(夕刊)に掲載していただけるようです。
甚だ僭越で恥ずかしい限りですが、
もしよろしければご覧くださいー!

わざわざ写真を撮るために山形まで来てくださったり
深いところまで理解して記事にしようとしてくださった
素敵な記者の浜田さんが書いてくれました。


�� + + + + + + + + + + + 


旅を終えて約10日間、
いろんな人に話をしながら
「この旅はいったいなんだったのか」を考えています。


たしかに
小規模高齢化集落(限界集落)や過疎地はいろいろ訪ねたし
農林漁業、酪農、畜産などの第一次産業の現場も訪ねたし、
現場で汗をかきながら学ばせていたことは大きな経験だった。

これは当初から持っていたテーマだし、
それで括ってしまえば分かりやすいことこの上ない。

「この地域ってこうなんだよ」
「農業ってこんな問題があるんだよ」

って、そうやって客観化して単純化して伝えることもできる。


でも、そうやって話すとき
なんだかすごく違和感が残るんだなぁ。


ぼくが本当に伝えたいのは「地域」ではないのかもしれない、と。

もちろん、地域の文化とか歴史とか食とか自然とか・・・

そういうものにも興味があるし伝えたいと思うけど、
それらはすでに本や情報として巷に溢れている。
それに、そういうことを知ることが目的であったなら
もっと効率のよい旅のスタイルがあったと思うし・・・。


そう考えていくと、
まず旅においてこだわっていたことは「人」との関わりだったことに気づく。

出会いに重きをおきたいと思ったから
人の縁だけを辿っていくというスタイルを取り、
できるだけ普通の家に泊めていただきたいと考えたのだろう。

結果、70軒ほどの家に泊めていただいたことになるが
ここから「地域」という景色が見えたことは少なかった。


ぼくが出会ったのは
一人の人間であり、
一つの家だったのだ。



「ムラアカリをゆく」という旅には
いろんなキーワードのラベルが貼られている。

その場の感覚だけで旅をしたかったので
旅の最中はできるだけ整理しないできた。

だから、自分自身でもどれが重要なラベルか
分からなくなっていたのだけれど
終わって整理をしていくと見えてきた。

一枚ずつ剥がしていったときに残るのは「人間」だな、と。


ぼくの旅は、
「地域」を知る旅ではなく
「生き様」に出会う旅だった。

これが今はしっくり来ている。


ぼくがはじめに出会った「限界集落」と呼ばれる地域で
あたたかくて、やさしくて、うつくしくて、かっこいい・・・
と感じることができたのは、


都会で育ったぼくらが「なにか」によって幸せになろうとするのに対して、

ぼくからすると「なにもない」と思うようなところなのに
外に「なにか」を求めることをしないで
それでいて物心ともに満たされているように感じたからだろう。


旅をしてみて「限界集落」には看板があるわけでもないし
その言葉がなにも表していないことに気づいた。


限界は、決して物理的要因ではない。


それを教えてくれたのは水俣でした。

詳しくは過去の記事を見ていただければ幸いです。

http://www.murakari.com/2009/05/52-3-1.html
http://www.murakari.com/2009/05/54-etc.html
http://www.murakari.com/2009/05/56.html
http://www.murakari.com/2009/05/column.html

振り返るだけで胸が熱くなり
大切なことを思い出すことができます。

水俣についてはまた改めて書こうと思います。


皆さんはどう感じられたでしょうか?


もしブログを読んでくださっていた方
新聞を読んでくださった方などで
なにか感じること・伝えたいことがあったという方は
以下まで連絡をいただけたら幸いです。

yuichi.tomohiro810(@)gmail.com ←かっこを外して@を半角にしてください


なんでもよいので、
感想やコメントをいただけたら喜びます。

どうぞよろしくお願いします!

また続きは書きます。

2009年8月11日火曜日

《風の便り》 ムラアカリをゆく vol.3

こんにちは!友廣裕一です。

先日、無事に東京に戻ってきました。

旅を終えたとはいえ
旅の延長のような日々です。

きちんとご挨拶すべきところ
まだまだできていない方がほとんどで・・・
とりいそぎ、このような形で申し訳ありませんが
旅を終えたことを報告せさせていただきます!


───────────────────────────


お世話になっている皆様へ

大変お世話になっております!
友廣裕一です。


約6ヶ月に渡って
日本中の農山村を中心に日本一周を行ってきた
「ムラアカリをゆく(http://murakari.com)」ですが、
ついに終わりを迎えて先日東京に戻ってきました。


今は東京に家がないので(解約して旅立ったので...;)
方々に居候をしていていたりして
まだまだ旅を終えたという実感は少ないのですが、
昨日8月10日に25歳の誕生日を迎えたことを機に
旅の終わりを宣言することにしました。

無事、最高のかたちで
25歳の誕生日を迎えることができました。

本当にありがとうございました!


【8月22日(土)「朝日新聞」夕刊】にて
取材していただいた記事が掲載される予定ですので
もしよろしければ読んで頂ければ幸いです。
→詳しくは下の方を読んでください♪

今回は少し長いですが
暇な時にでも読んで頂ければ幸いです。

----------------------------------------------------
��旅に出るまでの経緯
 →http://ytomohiro.seesaa.net/article/113788640.html

��「風の便りvol.1」
 →http://www.murakari.com/2009/04/-vol1.html

��「風の便りvol.2」
 →http://www.murakari.com/2009/07/-vol.html
----------------------------------------------------


★転送大歓迎★
 興味のありそうな方がいたらドンドン転送してください!
 少しでも僕の見た世界が伝わり、
 ご縁が広がればこれほど嬉しいことはありません。

いつもご迷惑ばかりおかけしていますが、
なにかの少しでもお役に立てれば...
そんな想いで書きますので宜しくお願いします!


――――――――――――――――――――――――――――

■ムラアカリの広がり ~メディア掲載など

前回の「風の便り」に対しても
たくさんの応援メールをいただき
どうもありがとうございました!

 それなのに
 まだほとんど返事が書けておらず...申し訳ありません!
 追ってお返事いたしますのでお待ちください。

読んで下さった皆さんが
様々なところで紹介をしてくださったおかげで
プロジェクトの広がりも大きなものがあります。

今まではあまり公開してきませんでしたが
��外部評価で見ていただきたくなかったので...)
いろんな方のお力添えのおかげで
様々なメディアにも取り上げていただきました。


□掲載していただいたメディアetc.

・毎日新聞 (3月4日〈全国版〉朝刊 『発信箱』)
・サンデー毎日(5月3日号)
・県民福井:福井県の地方紙
・紀伊民報:和歌山県の地方紙
・Tokyo Design Flow:東京各地で現在配布中
 →http://www.tokyodesignflow.com/paper/
・遠野テレビ:遠野市のケーブルテレビに出演!?
・和歌山県すさみ町の橋本町長とウェブ上で対談させて頂いています
 →http://www.town.susami.lg.jp/soumu/chochotusin/506.pdf


□今後の露出予定

冒頭にも書きましたが、
【8月22日(土)】には「朝日新聞(夕刊)」でも、
取材していただいた記事が掲載される予定です。

・全国版ですが地域によっては掲載されないかもしれない
・掲載日が変更になるかもしれない
とのことなので気楽な気分でよろしくお願いします^^


他にも講演?や執筆依頼も少しずついただいているのですが、
そちらも追々お知らせしていければと思っています。
冬からは『新・田舎人』という雑誌で連載もさせていただく予定です。


あ、この旅で得たことをお伝えできる機会があれば
どこへでも飛んで行きますので!!
お気軽に連絡をいただければ幸いです。
��財布とは相談ですが...苦笑)

いろんな切り口で伝えられることがあると思いますので...。

よろしくお願いします!

なかなか旅のまとめができていないのですが
皆さんにお伝えできるよう文章もしっかり残していきます。


――――――――――――――――――――――――――――

■旅の歩みを振り返って...

思えば、最初の滞在先しか決めずに
練馬ICからヒッチハイクを試みたのが2月11日。

「とにかく今あるもので行けるところまで行こう」

という発想で飛び出したところ、
いろんな人が手を差し伸べてくださり
食料、自転車、寝袋、テント、車、衣料品、滞在先...(他多数)
と、必要なものは全ていただきました。


結果、旅は当初5ヶ月の予定だったのが
6ヶ月・25歳の誕生日手前までに伸び、
「プロジェクト」という性質は薄れていき
「限界集落」というキーワードへのこだわりも薄れるなど
表面的なことは大きく変化していきましたが、

�� その土地に住む人との関わりの中から地域を知る
�� 頭ではなく身体で掴む
�� 影ではなく光を見つめる
��(自分自身が)常に希望を抱いて前向きに歩む

これらのことは旅を通じて
一貫して変わらず大切にできたかなと感じています。

本当にすべて出会いと人の縁だけで紡ぎだされた旅でした。

�� + + + + + + + + + + +

長かったような短かったような、
楽しかったような大変だったような、
なんとも表現しづらい時間でしたが、

"今"この時に、
等身大の友廣裕一が実現することのできる
精一杯の旅だったと感じています。

��自分の未熟さが故に、旅に至らない点が多々あったことも含めて...)

この旅を基点として人生がどのように転んだとしても
ぼくはこの選択を後悔することはないと言い切れるし、
どんなに色褪せたとしても自分の命を終えるその時まで、
この旅は輝きを失うことはないと断言できます。


それほどに、
この旅は本当に多くのことを
ぼくにもたらしてくれました。


勇気を持って一歩を踏み出すことの尊さ、
信じれば未来は拓けるのだという自信、
情報では得られない世界の広がり、
自然に向き合って暮らすことの実感、
本当の豊かさとはなにかという考察、
そして出会いによって日々前進する感覚。


出会いと別れを繰り返しながら
今まで知る由もなかった土地に立ち
鮮やかな景色をもって自分の中の日本地図を彩ることのできる喜び。


お手伝いをさせていただきながら、
一つの「家」にて寝食を共にさせていただくことで

息をすること
風景を見ること
食べること
話すこと、
はたらくこと・・・

いろいろな切り口から
その土地の"リズム"に自分をチューニングし
体感を持って地域を感じることができました。


本当に、支えてくださった皆様のおかげで
「これでもか!」というほど濃密で充実した
すばらしい旅をすることができました。


無事に誕生日を迎えることのできた
有難い感謝の気持ちとあわせて
支えてくださった皆さんに心から感謝をお伝えします。

本当にどうもありがとうございました!


――――――――――――――――――――――――――――

■今後のこと

とりあえずは大阪の実家に戻ったり
東京で居候をさせてもらったりしながら
この旅を振り返ってまとめていこうと思っています。

特に8月は大阪に帰ったりでバタバタしているので
本格的に人と会わせていただくのは9月以降の予定です。
報告会的なものも9月には...

今後の展開もまだまだ定まらないので
振り返りを通してじっくり考えていこうと思います。
追って、皆さんにもお知らせいたします。

アドバイス・叱咤激励など大歓迎です(笑)
なにかありましたらぜひとも
yuichi.tomohiro810(@)gmail.comまで送ってください!
  ↑
 ()をはずして、@を半角にしてください。


ぼくを支えて下さっているみなさん、
いつも本当にありがとうございます。

簡単ですが、
ひとまず旅が終わったことを
ご報告させていただきました。


引き続き、これからもどうぞよろしくお願いいたします!



�� Resource Coordinator *
友廣裕一 (TOMOHIRO Yuichi)

◎毎日新聞 (3月4日〈全国版〉朝刊 『発信箱』)
◎サンデー毎日(5月3日号) に掲載していただきました!

2009年8月7日金曜日

8.6 新潟県新潟市~栃木県高根沢町

��8月9日(日)の11:00~17:00頃まで
 早稲田大学大隈講堂前の「CAFE125」にいる予定です。
 お時間のある方はぜひ土産話を聞きにお立ち寄りください!

�� + +

前回の更新は新潟の国道49号線沿いのローソンの駐車場。

そこからヒッチハイクを始める。

岩手県陸前高田にいる時
八木澤商店の河野社長を訪ねて
視察に来られていたのが高根沢町の農業員の皆さん。

視察をご一緒させていただき、
夜は宴会に招待までしていただいてしまって...

「ぜひ高根沢を訪ねてきてね」
と皆さんから言っていただいたので、
東京に寄る前に行きたい場所だったのです。


そんなわけで高根沢町を訪ねてヒッチハイクをしていく。

みんな、乗せてくれる人が
「こんなところじゃ絶対乗せてもらえないよ」
と言ってくださるのが面白い。

みなさん心配してくださるのだけれど、
こんなご時世でも「拾う神」はいてくださる。

自然にスクリーニングされているから当然なのかもしれないのだが、
ヒッチハイクをすると、世の中はこんなにすばらしいのかと思えてくる。


結局6台に乗せていただいて
夜20時前に高根沢町に到着。

遅くなったので役場も閉館してしまったので
駅前で野宿をしようと思う。
旅の最後にもう一回くらい野宿してもいいかなと思って、
雨の振る中、屋根の下のベンチで眠った。

どこでも眠れるようになった。

これも旅の成果かなーと思いつつ、
今日は筆をおこうと思います。


2009年8月6日木曜日

8.5 新潟県新潟市 *必然的な偶然の一日


旅の終わりが見えてきた。

あとは東京に戻るだけか・・・
と思うと感慨深い今日この頃。

いつもヒッチハイクをしていると
乗せていただくありがたみが薄れていると思ったので
今日はちょっと歩いてみよう!と思い立った。

そして新潟の町を南に歩き出したら
数分もしないうちに後ろからおじさんに声をかけられる。

なんでもお遍路さんを歩いたり
ヨーロッパを旅したりされていた方だそうで
旅すること・歩くことの意味を30分ほど語ってくださった。

そして、
「遍路では差し出されたものは受け取らないといけないんだ」
といって、千円札を手渡された。
「これでうまいもんでも食え」と。
あと遍路の安全祈願の御札もいただいた。

あまりのタイミングのよさに
この出会いの意味を考えながら聞いていた。
なにかを伝えるために現れてくださったんだろうなぁ。

��

その後5時間くらい歩いたところで
そろそろヒッチハイクをしようと思ったら
今日も割と順調に乗せていただくことができた。

ところが、3台目の車に乗せていただいたところで
��台目の女の子二人組の車に携帯を忘れてしまったことに気づく。

偶然、名刺を別れ際にもらっていて
その住所を見ると3台目に乗せていただいていた
本間田鶴子さんのお宅の近くだということで、
用事を済ませたあと連れ帰ってもらうことに。

そして
「うちの家に泊まっていきなさい」
ということで、お言葉に甘えて泊めていただいた。

たまたま息子のすすむさんが
年に一度だけ趣味で海に潜りに行かれた日だったので
取れたてのカキやサザエをご馳走になる。

そのあとは、すすむさんの彼女さんと
その友達が飲んでいるというので合流させていただいて
楽しい飲み会に参加させていただいた。

今朝は田鶴子さんが
たくさんお握りを握ってくださって
幻のお酒?までいただいたしまった・・・
「新潟のお母さんにしてね」って言ってくださった。


偶然名刺をもらっていなかったら携帯はどうなっていたか分からないし、
携帯を忘れていなかったら泊めていただけることはなかった。

10分道路に立つのが遅かったら出会えていないし、
一瞬でもよそ見をしていたら止まってくれなかっただろう。

自分の中にニュートラルな部分を保った状態でいろいろと動いてみると、
自分の周りにたくさんの縁が流れていることに気づく。

これがセレンディティピーってやつなんだろうな。
この旅はそんなことに溢れている。

驚きと感動と感謝に満ちている。
あともう少し、楽しみながら今日も旅立ちます!

今日は南へ向かおう。

��今までも全国各地で何度も何度もこうした出会いがあったのに
��このブログには書けていないことばかりで、
��お世話になった方々には大変申し訳なく思っております><


2009年8月5日水曜日

8.1~4 新潟県佐渡市

友廣@新潟です。

8月1日から佐渡島へお邪魔してきました。

今回は旅も終盤ということで
ずっと東京で待っていてくれている彼女のさやかも
仕事の休みが取れたということで一緒に来てくれて
津田さんのお宅へ泊めていただきました。


ルワンダの話も、
ホームレスの話も、
佐渡での米作りの話も

津田さんの人生はどのシーンを切り取っても
どれも豪快で惹きつけられるものがあります。

誰かのために人生をかけて動き出したら
あらゆる人が力を分けてくれて
必要なものは全て揃うんだ、と。

なんだかドラゴンボールの元気玉みたいですよね。

先日もIターンで無農薬有機栽培のお米を作っている、
という記事が新聞に載ったところ100万円を
寄付してくれる方が現れてトラクターを購入できたんだとか。



最近の仕事といえばほとんど田んぼの草取り。

一町歩(ha)の田んぼを夫婦二人だけで
毎日毎日手で草を取っていく。

無農薬で育てる大変さというのは、
その雑草の量を見れば一目瞭然。

北海道の谷くん宅で経験した
畑の草取りの途方のなさにも近いような
途方もない大きさを感じました。

「無農薬」などのラベルを求めるのは簡単ですが
できればその背景を知ってもらいたいと思います。

農業ってお金にならない作業が多いんです。

草取りもそうだし、毎日気にかけて手入れをしたり・・・
それってビジネスの観点から見ると「投資」のように見えるんだけど
実際農家の人たちと関わってみるとちょっと違うことが分かる。

その行為が経済的価値に乗ろうが乗らまいが
「作物のためにできる限り尽くしたい」
そんな想いを感じることがあります。

でも、都会にいるとどうしても
「イイモノは、お金を出せばいいんでしょ?」的な発想になってしまう。

もうちょっと背景に存在する作り手の想いが知れたり、
それに対して感謝の気持ちがもてるようになったら
もっと気持ちよい関係になれる気がする。
そしたら、第一次産業を取り巻く状況もよくなるような気がするなぁ。

��

そんなことを考えながら草取りをした後、
お釜で炊いたお米をいただいた。
めちゃくちゃおいしかった!

翌日は海に出かけていって
バーベキューをして海で泳いだ。

途中、愛犬のクマが失踪して
みんなで捜索したりとアクシデントもあったけど
とってもおいしくて楽しい佐渡でした。


��回線状況が悪いので写真がアップできません・・・ごめんなさい!

2009年8月2日日曜日

8.1 近況報告など

友廣@佐渡です。

昨日まで山形県高畠町に滞在させていただいていました。

高畠へは先日も函館を案内してくれた
学生時代からの友人、大藤将太から紹介してもらいました。
ありがとう!

「昭和縁結び通り商店街」にて
酒屋兼蕎麦屋さんを営まれている
古川和夫さんを尋ねてお邪魔したのですが、
4泊もさせていただいたことに加えて
高畠で素晴らしい実践者をされている方々を紹介していただきました。

詳しくはまた追って書きたいと思いますが、
有機農業運動ではとても有名な星寛治さん、
給食自給率50%を掲げて子ども達が田畑を耕す二井宿小学校の伊澤良治校長、
蛍を中心にした地域活動に加えてオリンピック選手団の食事担当などもされてこられた島津憲一さん、
「八代村塾」管理人をされる一方、電子農法でおいしいぶどうを作られる富樫裕一さん、
過疎集落に移住してログハウスを建てながら地域を再構築されてこられた大川謙蔵さん、
大川さんの弟子としてIT系サラリーマンを辞めて移住してこられた八十敏雄さん
などなどとお会いさせていただきました。

他にも古川さんが中心に活動されてきた
「昭和縁結び通り商店街」は昭和ミニ資料館といって
商店街にあるお店の中の空いているスペースに展示品を並べて
ミニ資料館を作るという活動で、
中小企業庁から「がんばる商店街77選」に選ばれたりもしています。

とっても勉強になりましたし、
素晴らしい日々を過ごさせていただきました!
みなさん、どうもありがとうございました!



今日から佐渡島に来ております。
こちらでは今春南魚沼でお会いさせていただいた
津田政明さんのお宅にお邪魔しています。

津田さんは世界各国を転々とされた後、
単身で内戦後のルワンダに渡られて
音楽を中心とした活動を展開されてこられたとのこと。
その後は新宿でホームレス支援の活動を5年くらいされて
なんの身寄りも貯金もない状態で佐渡へ移住。

今は一町歩の田んぼを耕して
有機無農薬で(自称)日本一の米を作られています。

��日までお邪魔する予定です。
とっても素敵な方なので楽しみです!

ここは山の中なのに奇跡的にネットがつながったので
取り急ぎで更新しています。
��速度が出ないのでテキストのみですが...)


みなさん、いつもありがとうございます!
おかげさまで今日も元気に旅をしています!