2009年4月30日木曜日

4.29 福岡県八女市上陽町

友廣@別府です。

昨日は福岡県八女市上陽町にて
お茶摘みをお手伝いさせていただいたあと
別府へきました。

上陽町では久木原という集落にある
原口さん宅にとめていただきました。

福岡大学の赤星くんが八女市のNPOに関わっていて
原口さんは「ふるさとわらべ館」の館長ということで
紹介をしてもらいました。

息子のゆうやくんの剣道の練習についていったら
道場にいた西木先生が「明日からお茶摘はじめるよ」
ということで、朝8時からばあちゃんたちと一緒にお茶を摘んできました。

お茶の現場も高齢化が進み
加えて、機械・除草剤を使わないとコストが合わない。

手摘みは簡単そうに見えるし、
一見、機械より効率が悪いのですが
その身のこなしには継承されてきた動きがある。

「なにがなんでも残さないといけない!」と声高に叫ぶのは
なんだか違うような気がするし
そんな権利はないって知っている。

でも、
効率という名の下になんの疑問ももたれずに
自然に消えていく風景・・・

ちょっと立ち止まって
ちょっと疑問を持てる自分でいたいと思う。


そもそも、日本の芸能(能など?)は
農作業の動きが元になっているものが多いと聞いたことがある。

何百年という時間の流れにおいて
あたりまえの日常の営みのなかで
磨かれ、洗練されてきた動きがあったそうだ。

今は機械化が進んできて
継承されているのか分からないけど
それは「文化財」などと捉えられることはなくても
立派な生活の「文化」だと思う。


農作業は本当に大変だ。

機械化を否定しようなんて
そんな大それたことは思わない。

高齢化が進んでいる地域では
除草剤だって必要不可欠。

炎天下の中、毎日草刈を続けてもなお
お年寄りに「農薬は絶対にだめだ」と言える人がどれだけいるだろう。


でも、それをあたりまえにしないということ。

若者が手伝えば除草剤は減らせるかもしれないし、
価値があると思うものは残そうという動きが出るかもしれない。


否定でもなく、諦めでもなく、
もっと自然な形で創造的な道ができる気がするんだなぁ。


そんな風にして地域を見ていこうと思う。



茶摘み中

福岡県八女市上陽町にいます。
 現在お茶摘み中。


手作業でお母さんたちが積む姿は美しいけど、
機械の効率のよさには敵わない。

品質は結構違うのだそうですが
金額の違いと労働量がみあわない。
 だから、もう手摘みをしてるのはここくらいだそうです。

 お昼はお花見気分でみんなでご馳走をよばれました。
おいしかったー!


しかしこの茶摘み、大自然の中で無心で身体を動かすのはクセになりそうです。

初携帯投稿です!


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2009年4月28日火曜日

4.27 山口県萩市→福岡県福岡市

今回は盛りだくさん。
猿回しの話はぜひ読んでください><

***

美郷町を後にして向かったのが
山口県立大学。

毎日新聞に掲載していただいた記事を見た
安藤公門さんがブログにコメントをくださって
「山口に行く時は連絡します」というわけです。

安藤さんは「あったか村」の事務局長、
いまは大学院で肥溜めを研究されているそうです。

その研究発表に呼んでもらったのですが、
「うんこ」はすごいメッセージを秘めているということが分かりました。

昔は畑の肥やしとして「金」といわれたのが
近代化の課程で衛生的な事情もあいまって
「厄介者」となったウンコ。

膨大な建設費がかかる下水処理場を立てても
67%を有効利用、33%は焼却埋立処分している。


有効利用っていったって、
大量のエネルギーを使ってるわけで
社会システムの循環に乗らないで詰まっているわけです。

小規模な単位でなら醗酵させて金の価値となるが
大規模に集めてしまうとニッチモサッチいかない。

システム化を進めすぎると
うまく回らなくなるというジレンマを
分かりやすく体現しているなーと感じました。

岡山の玉木さんがおっしゃっていたように
やっぱり「出す」ことから
社会を再考していく必要がありそうです。

※「2008年版環境・循環型社会白書」で
 肥溜めの価値について明記されたそうです。



終わったのが21時半。
そのあと安藤さんの友人の伊藤丈二さんをご紹介いただき
お宅へ向かう。

国道からそれると
そこには二軒しか家が無くて一軒は空家。

ここは古泉城(古戦場とも書く)という地区なのですが
他の家があるところまでは1kmほど離れている。
静かなところです。

到着した4月23日は「世界本の日」

本の日にちなんで日中NHKで
シャンティというNGOが日本からカンボジアに絵本を送り
現地の言葉に翻訳して移動式図書館を展開する活動が紹介されていました。

たまたまそれを道の駅のテレビで見ていたのですが、
伊藤さんご夫婦とお話していると
なんと!お二人ともシャンティのスタッフだったとの事。

里絵さんはボランティアスタッフ、
丈二さんはアフガニスタンやタイに7年ほど滞在されていたそうです。
世界本の日に、たまたま見たシャンティに所属されていた方の家に
たまたまお邪魔するとは・・・



そして、さらにこの家には
「猿回し」の芸人さんが来られていて
なんでも明日から萩で公演をされるとのこと。

面白そうだと思ってお話を聞かせていただいていると、
「猿舞座」の村崎修二さんとおっしゃって
日本の猿回しを復興させた方だとの事。

昭和30年代に一度は途絶えた猿回しの文化を残すために
生き残っている人を訪ね歩いて蘇らせたのだそうです。

晩年の宮本常一先生が手塩にかけ
渋澤家や司馬遼太郎さんの支援を受けながら
何年もかけて本物の芸人の道を歩まれてきたとのこと。

はじめは記録で残そうと思っていたところ
それでは猿回しは残らないのだと宮本先生に怒られて、
自らの人生をかけて芸人となる。

その後、人気が出て今では400組ほどの猿回しがいるそうですが、
そのほとんどが「にわか仕込み」という手法をとっているそうで、
これは本物ではないそうです。

猿は牛や馬の守り神として
「神様」として神聖な動物なのだそうです。

ところが、今の猿回しは見世物として失敗しないため
叩いたり噛み付いたりして「調教」するのが一般的。

この「にわか仕込み」に対して
村崎修二さんや息子の耕平さんがやられている
「本仕込み」というのは、絶対に叩いたりしないで育てるのだそうです。

はじめの数年間は
ひたすら抱きしめてスキンシップを取って仲良くなる。

たまたまできたことに対してとにかく褒める。抱きしめる。

本番の公演でも猿の機嫌次第ではなにもしないこともある。
それはそれで仕方が無い。無理やりやらせない。

「なにもしないときは芸人がなんとかする」

この関係が、ほんとうに素敵なのです。

愛にはじまり、愛に終わる。

本物を追求する姿勢、
修二さん・耕平さんに「プロ」の芸人魂を感じました。


全国で一番古くて、「本仕込み」の数少ない猿回しにも関わらず
今も旅芸人としてのスタンスを変えておらず
ずっと車一つで全国を行脚されています。

劇場を構えて観光バスを呼んだほうが儲かる。

でも、あえて全国各地のお寺や公園で
人を集めて、投げ銭をいただいて生計を立てる。

芸能というのは本来こういうもので
きっと、閉塞したムラ社会に外からの爽やかな風として
日常を鮮やかに変える「ハレ」の役割を果たしていたのだと思います。


「宮本常一の教えは、一生乞食でいろってことだったんだよ。
 だからこれからもずっと乞食だな。はははー」

修二さんは人生をかけて、
過酷な芸の道を歩むにもかかわらず
このスタンスを変えられない。

上座に座ってもらおうと思うと
「そういう差別はいやなんだ」と一蹴。

「偉くなりたくないね。高いところに行くと見えなくなるものがある。
 それに、ぼくらはずっと猿と一緒の目線でいるんだよ」



幸運にも、二晩も同じ屋根にとめていただき
本当にすばらしいお話を聞かせていただきました。


公演は全部で四回見させてもらいました。

お猿さんは上手な芸をしません(笑)

好き勝手動き回っているし
落ち着きはないし何度も糞はするし・・・^^

立ち上がって歩くのを教えるために
叩けば3ヶ月、叩かないと2年
いや、2年かかっても歩かないかもしれないそうです。

でもね、大切なのは時間じゃない。
そして、失敗しないことじゃない。


その信頼関係から繰り出される本物の芸を見た時
笑いながらも涙がこぼれそうになるのです。

この猿回しも、今の社会に必要な
本当に大切なメッセージを秘めていると感じました。



紹介してくれた安藤さん、
泊めていただいた伊藤さんご夫妻
そして猿舞座のみなさんどうもありがとうございました!




そして一路福岡へ。

東京でお世話になっていた
渡辺紳二郎さん宅に泊めていただいたあと
頭と身体と諸々を整理しています。

明日からは南へ下る予定です!


2009年4月24日金曜日

4.23 松江市→美郷町

友廣です。

海士町から松江へ戻ってきて、
大学時代の先輩であるTBSの守田哲さんから紹介をしていただき
NHK松江局の山本直史さんとお会いしました。

牛タン料理をご馳走になり、
家にまで泊めていただきました。

いろいろとお話させていただいて楽しかったのですが
取材した先で「ぜひ行った方がいい」ということで
紹介をしてくださったのが島根県美郷町。
2007年に世界遺産に登録された石見銀山からすぐの自治体です。

産業振興課・田舎暮らしコーディネーターの
藤原修治さんをご紹介いただきました。

役場でお会いすると、
「陶芸家の橋本さんのところへ行こう」
ということで、連れて行ってくださることに。

橋本白道さんはJICAの青年海外協力隊で
二年間ドミニカ共和国で陶芸の教育に関わられた後
リトアニア人の奥さんとともに美郷町の山奥の集落へ移住。

周りは80歳前後の方ばかりの集落。

しかし、そんな中、来て三日で地域の方々と仲良しになり
なんと!
地域の方で構成する橋本さんの陶芸応援チームが結成されたとのこと。

そのメンバーが10数人(?)いらっしゃって
焼き釜をすべて手作りでつくられたとのこと!
薪を割りだって、草刈だって手伝ってくれるのだそうです。

こうして人を巻き込んでしまうこと
これが橋本さんの魅力なのです。

泊めていただいた翌日が釜の火入れだったので
朝から地域の方が集まってお神酒を交わして無事を祈りました。

今回が釜の完成から二回目。
焼きあがった際には展示即売をするとのこと。
見に来たいなー

時間があったので隣に一人で住まわれている
78歳のおばあちゃんの家の前の木を切りつつ
いろいろとお話をさせていただきました。

黒いパジェロを乗り回して
テキパキ動いて元気にしゃべる。

反対隣のご夫婦も88歳だけれども
「30歳くらいの人が草刈してたよ」って
以前に来た橋本さん宅に来たお客さんが間違えたそうだ。

それくらい田舎のお年寄りは
元気な人が多い気がする。
(もちろん都会にもいるけど)

おばあちゃん曰く
「人生はね、波風が多い方がいいのよ。
 お金持ちで便利な生活をしてたら早くボケる。
 あたしみたいに貧乏してたら毎日働かないといけないし
 ボケてる暇もないからねー はっはっはー」

ってことだそうだ。

お金のあるなしではなく、
やっぱりいつだって明るく生きたい。


橋本さんもスーパーポジティブ。

彼の移住によって、
空家だった空間が中心となって
この地域が大きく動き出している。




2009年4月23日木曜日

《風の便り》 ムラアカリをゆく vol.1

��以下、お世話になっている方々に
  メールでお送りした風の便りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お世話になっている皆様へ

大変お世話になっております!
友廣裕一です。


ご無沙汰していた方には
きちんとお知らせできていなかったのですが...
近況報告にお付き合いいただければ幸いです!


私、友廣裕一は
2月11日より日本一周の旅をさせていただいています。

「限界集落」と呼ばれるような中山間部・島嶼部を中心に
全国各地の現場を巡らせていただく旅です。

つい先日、2ヶ月が経過しましたので
ご報告をかねて送らせていただきました!

本当はもっと早くにお送りするつもりだったのですが...
通信回線は都市部を外れると機能しないことに加えて、
人と常に関わっているために時間がなかなか取れず。

また、出発前は多少の準備に加えて、家を引き払ったりと
非常にバタバタしてしまいましたので
きちんとご連絡ができなかった方には
心よりお詫び申し上げます!


長くなってしまいましたが、
以下、お手すきの時にでも読んでいただければ幸いです!


■《ムラアカリをゆく》 スタート■

09年2月11日 私、友廣裕一は旅に出ました。

「限界集落」と呼ばれるような土地を中心とした
中山間・島嶼部の過疎地を訪ねさせていただく旅です。
タイトルを《ムラアカリをゆく》と定めました。

今、地域が疲弊していると言われます。

その象徴として過疎化が進む中山間地や島嶼部には
「限界集落」と呼ばれて消滅の一途を辿る地域が
全国に約7800箇所あるといわれています。

「限界集落」という名前もさることながら
巷に溢れるそういった地域に関する情報は
その多くがネガティブなもの。

医療、教育、所得、産業、後継者...
などの"問題"に関する報道ばかりです。

でも、僕が学生時代に
ご縁をいただいた「限界集落」と呼ばれる集落は
もっともっと温かくて、やさしくて、きれいで、
素敵な場所だったのです。

ネガティブな事実情報も必要ですが、
それではなにも変わらないんじゃないかなと。

だからぼくは、
客観的で血の通わない事実情報ではなく、
主観的で生あたたかい感情情報に触れたい。
そして、伝えたい。

そう思いました。


今までに触れたことのある田舎の
その、温かくてやさしいイメージを
「ムラアカリ」という言葉に込めて、

東京の一人暮らしの部屋を引き払い
バックパック一つ携えて
ヒッチハイクで2月11日に東京を出ました。

(本当はこんなエラそうなことばかりではなく、
 もっと単純な欲求や感情も混じっていますが...;)

本当にたくさんの方に支えていただき
おかげさまで約2ヶ月が経とうとしています。

どうもありがとうございます!!


※旅に出るまでの詳しい経緯はこちら
 →


■プロジェクトの位置づけを変更■

旅をはじめる前は「プロジェクト」という形式で
「情報を発信する」という大義名分のもとに
仲間と共に進めていこうと思っていました。

が、旅をはじめて早々に、
その考えがズレていることに気づきました。

そもそも、
お金もナイ、移動手段もナイ、行くあてもナイ...
と、ないない尽くしでのスタート。

普通ならば準備をしっかりしてから...となるのですが、
この旅は、ちょっと違うんだよなーと思ったからでした。

その理由はまだ定かではありませんが(苦笑)
「準備が揃っていたら、それ以上に広がらない」
...ということが大きいような気がしています。

現代社会において、オカネは万能だけれども、
万能であるがゆえに人と人との関係性を切ってしまう...
という気がしています。

オカネを払って対価を得る...という関係では
人間と人間の関係になりにくいなぁと。

すっごく身勝手な考え方ですが、
オカネを媒介しないことによってこそ
ぼくがこの旅で掴みたいなにかが得られるような気がしたのです。

だから、
はじめはカバン一つにヒッチハイクで移動しながら
「労働」の対価として無料で泊めていただきつつ
紹介やご縁だけを頼りに進めていくことにしました。

始める前には、泊めていただけるあてはほとんど無かったけれど
あえてそうすることで人の縁を頼らざるを得ない状況をつくる。

根が無精者なので面倒だなと思うことも多いのですが
冬の北陸では野宿もできない。
これで旅のスタイルは変わりました。

情報発信は事後の話であって、
現場にあるのは
旅人・友廣裕一と出会った方との
一対一の関係のみ...というわけです。

このような理由から、
当初は複数人が一緒に周る予定だったのですが
プロジェクトという名の下に周ることは難しいということで、
いったん解消することになりました。

そんなわけで今は主に一人で歩んでいます。

(縁とタイミング、現地の方との関係によって
 たまに複数人になることもありますが...
 その辺は柔軟にやらせていただいています^^)


■旅の記録■

2月11日夜に東京は練馬ICからヒッチハイクでスタート。
9台を乗り継いで、富山県魚津市に到着。

その後、

富山市→福井県三国→滋賀県湖北町→福井県若狭町
→福井県池田町→福井市→富山県五箇山→富山市
→富山県八尾市→新潟県上越市→南魚沼市
→和歌山県すさみ町→奈良県十津川村→下北山村→天理市
→京都府綾部市→兵庫県養父市→朝来市→神戸市
→岡山県吉備中央町→広島県呉市大崎下島→広島市
→広島県三次市→島根県飯南市...

短期かつ過疎地ではないところも含めていますが、
それを除くとだいたい20箇所くらいを巡らせていただきました。
(いわゆる"限界集落"の定義に当てはまるのは約15箇所)

お金がないため、地域に住む方の家に泊めていただき
代わりに自分にできることをさせてもらっています。

地域の研究調査のようなことではなく、
家にお邪魔して日常生活の中から
いろいろなことを感じたり
お話を聞かせていただいたりしています。

泊めていただいたところも
自分で選ぶのではなく
ご縁のもとに訪ねているので
本当に幅広い出会いとなっています。

中山間もあれば島嶼部もあり平野部もあり、
農家さんが多いですが、限りなく自給自足に近い生活をしている家庭も、
近代的な生活の家庭も、電気もガスも電話も使っていない家庭も、
雪深い地域も、温暖な地域も、世界遺産の地域も、
若者も、中高年の方も、高齢の方も、町長さんも、研究者も、Iターンの方も、
高齢化率100%の集落も、子どもが戻ってきている集落も、
有名なところも、無名なところも、、

想像を超えた出会いに恵まれています。

手前味噌ですが、
これは結構すごいことなんじゃないかと感じています。
(自分のあつかましさも含めて・苦笑)

自分で選んでいては
ここまでは広がらないだろうなぁと
実感するとともに、
改めて、感謝の気持ちでいっぱいです!


ただ、そのような旅の性質から、
当初はブログにて毎日更新...と考えていたのですが
滞在先での関係を最優先することとしました。

その後、PCの不調等で大幅に滞ってしまいましたが、
これからは簡単な形式で頻度を上げていこうと思っています。

楽しみにしてくださっていた方
申し訳ありませんでした!

終了後、なんらかの形で公開していきますので
どうかお楽しみにしていただければ幸いです!


そんなわけで、本当になにもないところからはじまったのですが、
おかげさまで今のところほとんど野宿をしておらず。
それどころか、お金を使って食事をする...
ということもほとんどありません。

先日、車を貸していただくこともでき
さらにはテントやコンロなどのアウトドアグッズ、
自転車までもいただけることになりました!

それ以外にも、こうしてメールを読んでくださり
友廣裕一のことを気にかけてくださるだけで
ぼくはどんなに勇気付けられているか分かりません。

本当に本当にいつもありがとうございます!


これから島根県隠岐へ渡り
その後は南下していき
九州→沖縄方面→四国→中部→東北→北海道

と訪ねる予定なのですが(あくまで予定です^^)

「ここは訪ねた方がいいよ!」とか、
なにか提供してくださること等ありましたら
yuichi.tomohiro@gmail.comまでお願いいたします。

また折をみてメールを送らせていただきますので
引き続きどうぞ宜しくお願いいたします!

いつもありがとうございます!


みなさま、
よい週末をお過ごしください☆





2009年4月22日水曜日

4.21 島根県海士町

しこたま書いた記事が消えてしまい落ち込んでおります。。

友廣です。

「島根県隠岐郡海士町」

日本で最も自治体であり(定住促進や離島教育など...)
ぼくの周りでも足を運ぶ人が驚くほど多い島。


~ 海士町とは?(AMAワゴン 告知文より転載) ~

島根県の北60キロ、日本海に浮かぶ隠岐諸島の中の
一つの島(町)。後鳥羽上皇が流された流刑地としても有名で、
神楽や俳句などの歴史文化や伝統が残る一方、島すべてが
国立公園に指定されるほどの自然豊かな島。

現在人口は約2400人。年間に生まれる子ども約10人。
人口の4割が65歳以上という超少子高齢化の過疎の町。

人口の流出と財政破綻の危機の中、独自の行政改革と
産業創出、人づくりによって今や日本で最も注目される島となる。

町長は給与50%カット、課長級は30%カット(公務員の給与水準としては
当時全国最低となる)。その資金を元手に最新の冷凍技術を導入。海産物の
ブランド化により全国の食卓を始め、海外へも展開する「(株)ふるさと海士」。

農業特区を取って、新たに肉牛の業界に参入し、松坂牛に
匹敵するレベルと評価されて幻の肉として知られるようになった「隠岐牛」。
2004~2006年の3年間には145人のIターン者が移住するなど、
新しい挑戦をしたいと思う若者たちの集う島となっており、まちおこしの
モデルとして全国の自治体や国、研究機関などから注目を集めています。

~~~


島根県の沖に浮かぶ
この小さな島には一体なにがあるのか。

今回は山陰まで行かない予定だったので
「行けないだろうなぁ」と思っていたのですが
流れに流れて、島根県中山間地域研究センターまで来た。

「これは行けということだな」と思って境港へ。

流れに任せて流れゆく。
そこにはいつだって想像を越えた出会いがある(はず)。


海士へ行こうと思ったが吉日
早速、海士の話を熱く語ってくれた二人を思い出して電話する。

イタリアへの農業留学から先日帰国した早大の後輩 松橋拓郎と
海士をはじめ地域のことが大好きな一橋の渡辺雄(ゆうゆう)。

二人からそれぞれ海士の方を紹介をしてもらい
(ここでのコミュニケーションミスでご迷惑をおかけしてしまいました...すみませんでしたm(__)m)
最高の海士滞在となったわけです。
ありがとうございました!



松橋から紹介してもらった
巡の環」の信岡良亮さんには車で案内してもらったり
素敵な方々とのランチをセッティングしていただきました。

ご自身も、IT系の企業に勤められていましたが
これからは「小さな経済」だと感じられたことから
海士にたどり着かれたとのこと。

ウェブデザインというスキルと
仕事に対するシンプルな価値観。
素敵な生き様です!


そして、
渡辺くんから観光協会の青山さん経由で紹介していただいた
但馬屋」さんという民宿に泊めていただきました。

コチラ、一見ただの民宿なのですが
あなどるなかれ、すんごいところでした。

「半農半漁」つまり、
農業と漁業をされています。
それに加えて、民宿も、畳作りも(!?)されています。

地に足を、海に船を浮かべて数十年。

本当に懸命に歩んでこられたじっちゃんの言葉は
歯に絹きせぬストレートなのですが極めて正論ばかり。
自分の生き方を問われる気がしました。

明るい笑い声を飛ばしてくれるばっちゃん、
そして、愛にあふれた直球を投げ込んでくださるよしえさん
自然に囲まれた島育ちの3姉妹の家族です。

そんな民宿に、三年前"就職"して来られたのが宮崎雅也さん。
一橋大学在学中に中国へ二年間インターンシップでいき
帰国後、運命的な出会いに導かれて海士町へ来訪。

はじめての海士町、
はじめて但馬屋に来たときに
じっちゃんの話を聞いた時に
「ここで働く」と決めたそうです。

今年で四年目。

詳しいことは書ききれませんが、
朝5時半に起きて網を上げて一日がはじまり
農作業も、大工仕事も、干しなまこ事業もこなしてしまう。

全身を使って謙虚にひたむきに生きる姿はかっこいい。
心からそう思いました。

但馬屋のみなさん、
大変お世話になりました!!



最後に帰る前、
岩本悠さんに挨拶をするために教育委員会へ。

すると、悠さんはいなかったのですが
そこで対応してくださったのが
井上さやかさんと宮崎稔さん。

井上さんは大学卒業後カンボジアにいたけれども
その後で海士と出会いIターン。

宮崎さんは、なんと、
かの有名な「秋津コミュニティ」をはじめられた校長先生だったとのこと!

日本ではじめて公立学校を地域開放して
すごく成功していることで有名なので
「いつか行ってみたい!」と思っていたのですが、
まさか海士にいらっしゃるとは。恐るべし、海士町!!

そんなわけで一時間ほど
とても勉強になるお話を聞かせていただき
いろんな地域の方を紹介していただきました。



フェリー出発前の15分ほど
フェリー乗り場まで悠さんが来てくださり
海士町の感想などなどをお伝えしたあと
パンを頂いて海士町ともお別れ。

船に乗ると、感傷に浸るまでもなく
島でお会いしたトヨタ財団の大庭さんがいらっしゃり
境港から松江までも同じ道程だったのでご一緒することに。

ここでも面白いお話を聞かせていただきました。



こんなわけで海士町は素敵な島でした。

ただ、
メールで「問題点も教えて欲しい」といただいたので
そういう視点も少し。

人口2400人の島からは
毎年50人ほどが減っているそうです。

そして、
いろいろな立場の方から話を伺っていると
過疎対策の取り組みに関しても
はじめは自主財源で大切に使っていたけれども
成功するにつれて国からの助成金が増えている。

活動は活発でたくさんのプロジェクトが動いているけれど
本当に「持続可能」な取り組みを目指すためには
もう一皮向けなければならないのかもしれない。
そういう印象を持ちました。



海士町の特徴として
「Iターンの人が地域を良くしようと前のめりである」
ということがいえると思います。

一般的にIターンの方というのは
自分や自分の家族の"ライフスタイル"に
こだわりをもたれている方が多いと感じるのですが、
海士町は「地域」なんですよね。

志士が集っているような
そんな印象を受けました。



時間がかかってしまいました><

やはり記録は今後の課題です。




2009年4月18日土曜日

4.18 広島県三次市→島根県松江市

友廣@松江市です。

これから隠岐に渡ろうと思っているのですが
久しぶりにイーモバイルがつながるので
メールにブログに更新しています^^


16日は広島国際大学の石丸先生とお会いさせていただき、
昨年のゼミ生が卒論で扱った限界集落に関する調査研究について
いろいろと話を聞かせていただきました。

(すみません、、詳細は割愛させてください)

そのほかにも、ご専門の都市計画の観点で
以前に関わられたダム建設に伴う新天地の集落計画の話など
新たな視点で地方集落を考えることができました。

移転に伴った資金もあるけれども
反対運動の中で住民間の絆が強まり
移転後は意外とうまく集落は存続している・・・

今はどうか分からないとのことでしたが
これには「そうなのか!」と思いました。



翌日は三次市へ。

ちいき活勢会という活動をしている
小池くんに案内してもらい
三次市作木町にある岡三渕という集落を訪ねました。

ここは広島県で最初に"限界集落"と認定された場所だそうです。

以前は多田羅製鉄などの影響で
人口が多かった時もあるそうですが
今は78歳の区長さんで若い存在だそうです。

しかし、中山間地域研究センターの方が
関わられていたりして、新しい公の
交通モデルづくりなどいろいろと取り組まれています。

立派な定住促進住宅も立てられていたり
芽はいろいろと出ているのですが
育つのはこれから・・・という感じでした。

小池くんは広島県立大学の院生なのですが
学生の機動力・ネットワークを生かして
住民の方々と関わる企画を立ち上げています。

今度は田植え前の田んぼをつかって
「泥んこずもう」をするんだそうです。

週に1回は訪ねているそうで
学生が主体になった地域活性化のモデルとして
おもしろいなーと思いました。

区長をされている高岡さん宅に泊めていただいたのですが
とても素敵なご夫婦で、おいしい食事に地域のお話に
いろいろとありがとうございました!



翌日は小池くんと相方の樋口くんに連れられ
島根・中山間地域研究センターを訪ねました。

島根は過疎地域の取り組みにおいて
先進的な場所だということが実感できました。

今までは各分野ごとの研究・取り組みがメインだったのですが
ここでは「地域」という単位で、産業・交通・農業・林業・建設...etc.
分野横断的に研究をされています。

尚、ここでの研究は論文を書くのが仕事ではなく
現場に足を運んで、モデル実験をおこない
そこで成果を挙げることを目指しているとのこと。
さらに、報告は知事に直接行うのだそうです。

詳しいことは書ききれませんが
自治体を含めたホンキを感じました。


案内してくださった野村さん、
お忙しいところありがとうございました!

そして、
小池くん・樋口くん
素敵なご縁をつないでくれてありがとうございました!







2009年4月16日木曜日

4.16 広島県大崎下島→広島市

友廣です。

先ほど大崎下島を経ち、本日はこれから広島市内にて
広島国際大学教授の石丸紀興さんとお会いさせていただく予定です。

日ごろお世話になっている
JOYWOWの石丸雄嗣さんのお父さんで
専門は都市計画だそうです。
昨年はゼミ生の卒論で限界集落地域の研究をされたとのことで
お話を聞かせていただこうと思っております。

先日なんと、石丸雄嗣さんのご尽力により
スペシャライズド社から自転車を提供していただきました!
(写真は更新できないのですが...)

自転車業界のコンサルをされている関係で
素敵な自転車を提供していただけることに・・・
本当にありがとうございました!

明日からは、ブログにコメントをくださった
ちいき活勢会の小池さんに案内していただき
広島県三次市の方に滞在させていただく予定です。



大崎下島は瀬戸内ならではの
温暖でみかん畑と海が印象的な
とっても素敵なところでした。

この旅はじめて熱を出してしまい
丸一日は寝込んでしまったのですが・・・
ほぼ100%島内産・自家産・浜本おばあちゃん手作りの
おいしい食事のおかげで完治できました!

83歳の浜本さんご夫婦からは
8番目の孫だと言ってかわいがっていただき
また一つ田舎が増えた気分でうれしかったです!

夫の幸男さんはみかんづくり一筋60年。

時代の流れに弄されながらも、
ひたむきに一本の道を歩んでこられた
その口から発せられる言葉はとても重みがありました。

「うまいもんを食べると人は笑顔になる。
 だから、みかんづくりは笑顔をつくる仕事なんじゃ」

幼少期に親を亡くされ、
祖母一人に育てられながら
小学校卒業後はみかん作りの道しか選択肢はなかった。

戦中は毒ガス製造の地へ赴き、
「十九、二十歳のころは死ぬることばかり考えちょった」
といいます。

そして終戦後、
規模を求めて九州へ転地しようかと思った時もあったが
今は世界で最も住みやすい土地だと実感できる
大崎下島に住み続けてよかったと言います。

晴れた日は庭の花を愛でながら
縁側でお昼ごはんを食べていると
近所で釣りをする人から魚が届きます。

「百姓は、現金収入は少ないけど
 一番新鮮でおいしいもんばっかり食べて
 一番贅沢しちょると思うんよ」

そう話すおばあちゃんは
辛い時代もあったけどねぇ...
と言いますが、本当に幸せそうでした。

幸男さんのみかんは本当においしい!
そして、この歳になっても
毎年何種類も新品種に挑戦されている...
好奇心が若さの秘訣かもしれません。

朝食は「朝フル」といって、
自家製フルーツ盛りだくさんの朝食で
いろんな種類の柑橘類を食べさせていただいたのですが
「はるか」「せとか」「けらじ」「ひょうかん」あたりがオススメです!

(果物の水分が身体に一番良いということで
 朝フルは10年以上続けられているそうです)



久比という集落に泊めていただいたのですが
この地域には以前は3000人近く住んでいたとの事。
しかし今は700人くらい。

「学校もなくなって若者はほとんどいなくなった。
 70歳以上が3分の2くらいなんじゃないか...」

ということで、
山も耕作放棄地が目立ちました。

柑橘類は年中収穫できるし
価格もやり方によっては上げられそうだし
優良地が数ha単位で放置されていて
この島はとっても可能性を感じました。

幸男さんの話を聞いていると
みかんづくりには夢やロマンを感じてしまうのです。



広島に来ると、戦争のことを考えざるを得ません。

幸男さんの
「戦争は絶対にだめじゃ。
 なにもいいことはありはせん。
 若者が死ぬることばっか考えるなんてことは
 絶対にくり返してはならん」

折しも、久しぶりテレビを見ると
"報復"という二文字が軽々しく踊っていて
複雑な心境になりました。


歴史は時として過つ。


歴史から学べとはよく言われますが、
いま本当に必要なことは、
なにを学び、学ぶべきかを考えることではないでしょうか。

軽率な判断は
時として本当に価値あるもの
大切なものをも捨て去ってしまう。

「限界集落」と呼ばれる地域にも
共通することがあるような気がして
思わず書いてしまいました。



ちょっと余談が長くなりましたが、
久しぶりにちょっと時間があったので
思い切って書かせていただきました。


ぼくが出会う"世界"は
こんなに素晴らしいのになぁ。



2009年4月12日日曜日

4.12 岡山県吉備中央→広島県大崎下島



岡山県吉備中央町を出ました。

自然農法を実践されている玉木さんの
お宅に泊めていただいたのですが、
とっても素敵なところでした!

大学卒業後にニューヨークへ渡り、
そのあとロッククライミングに没頭。
1年300日以上山にこもる生活を四年続けられたそうです。

贅肉をそぎ落として身体を洗練させていく過程で、
本当に大切なもの以外を捨てていかれたような印象を受けました。

その後はマクロビオティックに出会い
味もホンモノを求めるようになった。
そして行き着いたのが「自然農法」の野菜だった...ということです。
(自然農法については検索してみてください;)

「野菜のおいしさを追求していったら自然農法に行き着いた。
 だから、もっとおいしい野菜がつくれるのなら農法も変える」

この言葉はとても印象的でした。

あとは、
 現代は「入れる」ことばかりに関心が向いている。
 でも今本当に必要なことは「出す」ことを考えること。
 滞留してしまって、いろいろな問題が発生している。
 だから出すことで循環をつくっていかなければならない。

これは個人の体内環境においても
社会環境においても言いえて妙だなと思いました。

妥協せず、とことんこだわって、
野菜とコミュニケーションしつつ、
最高の味を追求される背中を見て
「この人は絶対にハズさない」と感じました。

玉木さんどうもありがとうございました!

そして、研修生の貴文さんにも大変お世話になりました。
どうもありがとうございました!


帰りには藤原ようこさんにご紹介いただいた「焼き屋」さんへ。
三木さんご夫婦は東京のルヴァンで修行されていたそうで、
ぼくの大好きな本「自分の仕事をつくる」の写真にも登場しているそうな。
西村さんとも面識があるそうで、これまた驚きでした。

山間にぽつんと一軒
手作りの素敵なおうちがあります。

目当ての人しか辿りつけないお店ですが、
慌てず焦らず自分のペースで
おいしいパンを焼きながら
自然な笑顔でお客さんに届ける。

とってもおいしいし、
お店とご夫婦の雰囲気も加わって
思わずファンになってしまいます。


思えば、ナガオカケンメイさんと
イベントにてご挨拶させていただいた際に
藤原さんと出会い、焼き屋さん、玉木さんとつなげていただきました。

玉木さんが
「小さな世界に収まらないない」
とおっしゃっていたのですが、
それは行動範囲のことではない。

毎日農場にいるけれども
自ら選択をして範囲を限定するのではなく、
出会うべくして出会うものを受け入れるということ。
その広がりは無限である...

そんなお話を聞いていて
ぼくが行く先を事前に定めないで歩んでみたい
と思った理由が分かりました。


旅が始まって以来、
いつもこのような感じで縁をいただき
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

これから瀬戸内海の大崎下島へ。

楽しみです!

2009年4月10日金曜日

4.10 近況報告

大変ご無沙汰しております!
友廣@岡山県吉備中央町です。

メールにて投稿してみます。


昨日、ようやくPCが復旧したのですが
そのまままた出発したので更新できず...
徐々に掲載していこうと思います。

また、携帯でも投稿できるようになりましたので
一行程度でも更新していこうと思います。

滞ってしまい申し訳ありませんが
どうか温かく見守っていただければ幸いです。



北陸~新潟から関西に移動して
和歌山県すさみ町
奈良県十津川村
奈良県下北山村
京都府綾部市
兵庫県和田山

と、
ご縁を訪ねて旅をしてきましたが
驚くほど素敵な出会いに恵まれております。
詳しいことはまたの機会に!

一旦また大阪の実家でPCの復旧作業等をして、
昨日から関西以西を南下する旅をはじめました。

昨日は、
朝日新聞記者の豊さんからご紹介をいただいた
兵庫県六甲にある弓削牧場という
とっても素敵な牧場を訪ねさせていただきました。

ここは山奥だったところが、
バブル前後で土地開発が進み
隣まで住宅地が迫ったところに立地しています。

"農"という観点で
都市とよい関係を築こうとされていて
今までとは少し違う観点で勉強になりました。

残念ながらご主人は出張中でお会いできなかったのですが、
スタッフのみなさんによくしていただき
めっちゃおいしいランチにデザートにと
ご馳走になってしまいました。
ありがとうございました!!


その後は東灘区まで移動して
ソーシャルビジネスのメーリングリストで知り合った永菅さんが主催されている
「農楽カフェ」に急遽お邪魔させていただきました。

兵庫県有機農業研究会理事長の本野さんから
有意義なお話をいただきました。

最近、CSA=コミュニティで農業を支える
という考え方が広まっていますが、
そもそもASCではないのかというお話が印象的でした。

農業があるから地域は成り立つということを、
震災の時におにぎりを20万個作って配られた...
という兵庫県ならでは経験談をもとに
「なるほど」と腑に落ちました。

今まで滞在してきた地域を考えたとき
いつもそばに"農業"があるのですが
これは生業としての"産業"という視点だけに留まらないことに気づきました。
勉強になりました。

永菅さんをはじめとして
棚田保全に取り組まれる若い方が何人もいたり、
会場となった「愛農人」というカフェをプラットフォームとした
ファーマーズマーケットの取り組みなど
これまた非常に勉強となりました。

本野さん、永菅さん、参加者のみなさん、
どうもありがとうございました!


そのあとはまた弓削牧場にもどり、
牧場で働かれている篠原さん夫婦のお宅へ泊めていただきました。

夫婦揃って引き出しが多くて、
夜中までいろいろと教えていただきました。

農は田舎だけのものではないんだと。
地域という括りで、都市の中でASCをまさに体現されようとしています。
本当に魅力的な場所ができていく可能性を感じました!


今これからはBONANZAの藤原さんからご紹介をいただいた
「焼き屋」というパン屋さんの三木さんから紹介していただいた
玉木さんという方を訪ねて岡山県吉備中央町へ向かっています。

その後は三国の山崎洋子さんから紹介していただいた
広島県大崎下島の浜本さんを訪ねる予定です。


また時間ができたら
いろいろと書きたいと思います。

心配してくださっているみなさま
本当にいつもありがとうございます。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!