浦河にある「べてるの家」に行ってきました。
そして、年に一度の「べてるまつり」に参加させていただいてきました。
全国から700人?ほどの人が集まり
とてもすごいエネルギーに包まれていました。
・・・が、正直にいって、
今は文章にできる自信がありません。
あまりに多くの出会いがあり、
大きく心が揺さぶられ、
たくさんの側面があって・・・
とにかく充実した濃密すぎる四日間でした。
*
今回は「降りてゆく生き方」の皆さんが
「べてるまつり」に来られるということで、
急遽同行させていただくことになりました。
以前から訪ねたいと思っていたのですが
北海道に行くタイミングと重なったので
相変わらず本当に運が良いです^^
今回は
プロデューサーであり弁護士の森田貴英さんと
監督の倉貫健二郎さん
カメラマンの赤川修也さん
(こんなスゴイ方々です→http://www.nippon-p.org/mov-staff.html)
俳優の権藤栄作さん
スタッフの柴木さん、小村亮雄さん、従兄弟の小村ひでさん
・・・という方々と一緒に浦河で3泊4日を過ごさせていただきました。
それぞれの見ている世界を知ることで
自分の視点・立ち位置があぶりだされていくのを感じました。
また、プロフェッショナルな皆さんの動きを見ていて、
磨き上げられた曇りのないファインダーを通して世界を見つつ
鋭い洞察でその世界を自分の中に取り込まれているなぁ・・・と感じました。
それが「降りてゆく生き方」という映画に凝縮されています。
機会があれば、ぜひご覧ください!
(この映画は自らで"機会"をつくることもできます。興味のある方は連絡をください!)
べてるまつりの詳しい内容は
またの機会にじっくりと書きたいと思います。
「べてるの家」とは・・・
べてるの家(英語:Bethel's house)は、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点で、社会福祉法人浦河べてるの家(2002年法人化-小規模授産施設2箇所、共同住居12箇所、グループホーム3箇所を運営)、有限会社福祉ショップべてるなどの活動の総体である。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有している。
(wikipediaより引用)
ざっくり説明するとこのようになるのですが、
こんな言葉では括れないものがあります。
あえて一言でいうなら、べてるは「場」だなと感じました。
浦河という町全体をひっくるめて、
昆布のある海岸も、競走馬が歩き回る野原も
風が吹き抜ける岡の上の共同住宅も、
陽光に照らされる新緑の緑も・・・
それらがすべて影響しあい、
重なるところ、それが「べてるの家」ではないか、
そんな風に感じます。
その先には
精神障害者の方が社長を務める会社や
高齢化する町を支える精神障害者によるまちづくりがあり、
事業規模が1億円を超えていたりするわけです。
が、それらは結果として切り取られる一つの側面でしかなくて・・・。
「べてるの家」では精神障害者と呼ばれる人たちが
自らの問題を当事者同士で研究する「当事者研究」という
取り組みがなされているのですが、これが核だと思います。
そしてそれを実施できる「場」こそが「べてる」ではないかと。
*
べてるまつりの前日には
当事者研究全国交流大会という催しが行われていたのですが
これはその「当事者研究」を行う精神障害者と呼ばれるの方々が
それぞれの研究成果についてプレゼンするというもの。
きっとはじめて聞く人にとっては「?」だと思うのですが
これが本当にすごいのです。
自分の暗くて痛くて苦しい部分に自らの手でメスを入れ、
ひとつひとつ丁寧に解剖していく。
もちろん周りの仲間と共になのだそうだが、
僕らでさえ見てみぬふりをして生きているのに
それが原因で現在進行形で苦しんでいる方々にとっては
想像もつかないほどの勇気が必要だろうと思う。
ここでは、幻聴を「幻聴さん」という愛称で呼び、
かわいいキャラクター化されている。
幻聴さんに苦しめられた仲間には
「大変だったね」と言って苦労を認め、
暴れまわったとしても当人を責めることはしない。
ここでは「人」と「問題」は別物なのだ。
問題は問題として机の上に並べて、その原因を探る。
当事者も被害者であり、とっても苦労しているのだ。
(・・・と少なくとも僕は感じた)
精神障害者と呼ばれる人たちのことを
ぼくは今まで偏見を持って見てきたと思う。
自分の中で勝手に線を引き、
自分とは関係ない別世界の住人として距離を置いてきた。
どこかで自分より弱くて、だめな人だと見ていたかもしれない。
恥ずかしいけれど、これはきっと事実だ――
しかし、当事者研究発表を聞いていると
少なくともそこで発表している人たちは
勇気を出して裸の自分と向き合っていた。
何度も何度も生きることを諦めようとしてきた人が
過去に逃げずに向き合って、震える手でマイクを握りながら
何十人、何百人という人たちの前で語っていた。
かれらはとっても勇敢に見えた。
これを聞きながら、正直言って困惑していた。
だって、彼らはぼくなんかよりも
ずっとキレイな心で世界を見ている気がしたから。
ちょっと心が繊細で、
ちょっと相手のことが分かりすぎたり
ちょっと深く考えすぎてしまったり・・・
そんな違いしかないような気がして、
自分は卑怯者だから安定して生きれてるんじゃないか?
なんて思えてきたりする。
心を鈍感にできる人が健常者で
心が繊細な人は精神障害者・・・?
健常ってなに?
障害ってなに?
よく分からなくなってきた。
彼らとまったく同じ環境で
まったく同じ境遇を辿ってきたとしたら
自分も精神科に通っていた自信はある。
でも、そこから立ち上がって
彼らのように当事者研究をできる自信は全くない。
自分が本当は弱いことは知っているから、
この仮説を頭でイメージしながら、すごく困惑した。
さらに驚いたのは
この会場が『笑い』に溢れていたということ。
こんな暗いテーマをも笑いに変えてしまう。
きっとこれを読んでいても想像もつかいないと思うけれど
本当に笑いに溢れているのです。
笑いに変える当事者の開き直りと
笑ってあげる周りの人々のやさしさ。
この関係が本当に無理がない。
だからべてるで働く健常者の人たちも
仕事を心から楽しんでいるという印象だった。
だって
暴れたり、突然ぶっ倒れたり、街中で寝てたり、トイレで四日間過ごしたり・・・
毎日起こるこれらのことが
ここでは笑い話にできるんだから。
笑いに絶えない職場なのだ。
*
うーん、いよいよ長くなってきたけど
なぜこのブログに精神障害者の施設のことを
こんなに気合を入れて書いているのか・・・
それは、ここで起こっていることがまさに
ぼくが「限界集落」という現場を訪ねて
伝えたかったことと重なるからだ。
代表の向谷地さんが発した言葉が象徴的だった。
「これから僕らは健常者支援をしていこうと思っています」
冗談として言ったのだと思うけど、
これはまんざらでもないと思った。
現代社会では程度の違いこそあれ
多くの人が少なからず心の病を持っていると思う。
でも、向き合うと大変なことになる気がして遠ざける。
個人としても、企業としても、社会としても
その核心には手を付けられないままで
その歪を受けて閾値を越えた人は「ウツ」というレッテルを貼られて脱落していく。
みんなほんとは紙一重なんだけど
貧乏くじを引いた人は自分とは違う世界の人にしてしまう。
ほんとはここに大切なことがあるのに・・・
彼らは自分の負の部分から逃げないと覚悟した時から
人生がはじまったのだと思う。
吉本さんの水俣の話とも通ずるところがある。
本当に勉強になった四日間でした。
また改めてしっかり書きたいと思います。
とりあえず、お世話になった皆さん
どうもありがとうございました!!
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なんとなんと、以前に徳島県神山町のエントリーでも紹介した
西村佳哲さんがいらっしゃっていました。
なんでも、僕が昨年参加した奈良の「自分の仕事を考える」に
ゲストで向谷地さんをお呼びするのだそうです。
懇親会で偶然出会い、あまりにうれしかったので思わず話しこんでしまいました(笑)
また東京でよろしくお願いします!