友廣です。
こちらのブログでなにを書こうか...
いろいろと悩んでいたのですが
少しずつ「地域」や「第一次産業」など
この旅で出会ったテーマについて書いていこうと思います。
旅の途中で出会ったこと、感じたこと
そして今現在考えていること・・・
自分の備忘録として書いていきたいと思います。
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最近「地域活性化」という言葉に
ひっかかりを感じることがあった。
なんだろう。ちょっとした違和感が残ることが多い。
その理由について
この数週間いろいろ考えていて
先日ふと会話の中で気づいた。
それは、都会の人が都会目線で
「地域活性化」という言葉を使うことに対してだった。
都会のモノサシ、それはつまり主に「経済」を尺度として
「活性化」というものを定義しているということ。
そして都会で「活性化」しようとする
多くの人は「あなたのためです」と言う。
地域のため、集落のため、日本のため・・・と。
でも、
「開国を迫っているのは日本のためです」
と黒船に乗ったペリーが口にした時、
その場に居合わせた日本人はなにを思ったのだろう。
相手側の感覚が抜けている気がするのだ。
ペリーは、心の底から文明の遅れた日本を救いたいと思って
わざわざ命がけで遠くからやってきたのかもしれない。
でも、
もし自分が当時の日本人だったとしたら・・・と想定すると、
そんなこと、とても受け入れられなかっただろう。
だって、見ず知らずの人から「あなたのために」
という言葉を聞いたってしっくり来ないのは当然だろう。
突然やってきた人に今までの日常を否定されて
「お前のためだ」といって変革を求められたら
「あんた何様?」って思うだろうな、と。
土足で畳の上に上がるかのような雑さを感じてしまう。
地域が経済社会に組み込まれている場合、
「ヒト・モノ・カネ」は東京に集まるわけなので
当然、「劣っている」という状況が生まれる。
そこで都会の人は<経済>というモノサシによって
その遅れている部分を埋めてあげましょうって説得する。
それを税収の不足している行政も受け入れるんだけど
果たしてミクロに見た時に"一軒の家族"はどう変わるのか。
「経済」というモノサシの先には幸せな生活があるのか。
多くの場合はそこまで言及されないけど
本当はそこが一番大切なんだと思う。
そしてその幸せな生活を実現するためには
「人」と出会い、「人」を知ることが必要だろう。
その土地で生きる人の声を聞き、
息遣いを感じ、
体温を共有する。
自分の中にそれらを取り込んでいく。
手触り、味、匂い、喜怒哀楽...
外の人は、完全にその地域の人にはなれない。
でも、
自分の中に地域の人を取り入れることはできる。
そこに住む人たちとの関わりの中で
自分の欲求や喜びや悲しみと同じレベルで
自分がなにかやりたいという衝動が生まれる。
誰かの笑顔や苦痛に対して
自分の中でたしかなものが動いた時
本当の「地域活性化」が生まれるのではないかと思うのだ。
一昨日前に、ぼくがお世話になっている
早稲田大学の友成真一先生も言っていた。
「人類は今までたくさんの「仕組み」をつくってきた。
でも、仕組みによって幸せな人生を実現できたことはない」と。
国際貢献でも、なんでも同じだと思う。
自分の中に「人」が不在の「活性化」はニセモノだと思う。
相手の体温を感じない施しは
世のため人のためという名の偽善になりえる。
どんなにきれいな絵を描いても
どんなに立派なビジネスが生まれて
どんなに経済が回ったとしても
その先に幸せな生活がなければ意味がないし、
そのたしかな触感がないのに絵を描こうというのは
ちょっぴり傲慢なことなんじゃないかと思う。
「地域活性化」という言葉を分解すると
「わたしの○○している街が××で△△な気分だから□□したい」
こんな感じになるのかな。
自分と地域がつながる感じ、それが必要なのかも。
ペリーの場合はそんなことないもんね。きっと。
主体と客体の間に深い溝があっただろうから
自分の価値観を一方的に説得していたのだと思う。
「地域活性化」を外から提案する場合、
往々にしてマクロな指標を持ち出して
分かりやすいフレームに当てはめて説得しようとしてしまう。
でもそこにいるのは個人であり家族である。
だから、逆の立場にいる一個人の視点を忘れてはだめだと思った。
「それ、なんかいやだ」
と自分自身が思うようなことは
他人様にはやらないようにしよう。
長々と「地域活性化」に関する違和感について書いてみました。
読み返してみてなんと偉そうなんだと思ったのですが
これも自分の主観なので敢えて発信してみようと思います。
皆さん、どう思われましたか??
僕も、同じような違和感を感じてます
返信削除僕はグローバリズム至上主義への不信感かなと理解しています
均一とか均質とか日本という国がいままで目指して来たもの
その恩恵というものも十分あるんだけど、そこをこれからも徹底して目指すなら限界集落なんてさっさと廃村にして、平地に人持って来た方が効率良い
そうしたら文化も糞も無い平板な日本ができちゃうよ
僕はいやなんで、なんでも世界基準、東京基準っていう流れに抗っていきたいと思う
個同士が固く結びついた小さくても強いコミュニティがあっちこっちに出来ていくといい
本当はその地域で完結すべきなんだけど、無理だからそこは情報技術を使って都会と田舎で擬似的にそれを作れたら良し
そして、気がつけば、ひとり二人と田舎へ人が戻っていくみたいな
仕事中なのでこのあたりで
はじめまして、友人のリンクから来ました。
返信削除次の記事も読ませていただきました。
同じようなことを論文に書こうとしていて、悩んでます。答えはない気がしますが。
ただ、都市と農村のコミュニケーション不全に関して言えば、過疎地の人も、都市の人を理解して、耳を傾けられるだけの力(?)をつけることが必要なんだと思います。誤解があるなら解けるようにコミュニケーション。
お互い耳を傾けあうことが一番大事で、「地域活性化」なんて言葉はそんな気にすることはない気がします。
個人と集団(集落?)の利害関係も難しいところですね。
お互い悩みましょう!