2009年9月18日金曜日

「地域活性化」の違和感(2)

友廣です。

「風の便り」の中でもお知らせしていた
『ムラアカリをゆく旅 in富山』ですが
無事に定員の10名が集まり満員御礼となりました。

この旅では本当に素晴らしい出会い、経験、学びの機会をいただいたので
今度はそれをいろんな人に伝えて・共有していきたい!
という思いから、ツアーを企画していくことにしました。

今回はその記念すべき第一弾というわけですが、
おかげさまで幸先のよいスタートが切れそうです!

参加してくださったメンバーも
現役東大生、農業従事者、幼稚園先生、コンサルタント、官僚、
起業家、商社、ロボットメーカー、食のスペシャリスト、放浪者(苦笑)

��・・と幅広く、それぞれの立場からの視点を大切にしつつ
それらをシェアしていくことで深くて面白い学びの場をつくりたいと思っています。

よい時間を過ごしてもらえるようがんばります!
第二弾以降も企画していく予定ですので
また完成したら(できるだけ早く)お知らせいたしますね。

よろしくお願いします!


�� + + + + + + +


さて、前回の「地域活性化」についてですが
夜中に睡魔と闘いながら書いたので
改めて読み直してみると分かりづらいですね・・・

うーん。

ペリーのくだり、比喩として分かりやすいと思ったのですが
ちゃんと伝わったかなと不安になりました。

要は、相手側の立場にたって
その心境を共有できるかどうかが大事なんじゃないか、と。
それが言いたかっただけです。


仮にお年寄りと接したことがない官僚が
高齢者福祉の施策を打ち出すとする。
すごく理詰めでうまく練られていたとしても
それではなんだかうまくいかなさそうじゃないですか?

たぶん、「数字」を良くはできそうな気がしますが
それ以上にもっていくのは難しいんじゃないかと。

作る側に立つといけそうな気がするんですが、
受ける側の立場でイメージしてみると
そんな簡単に伝わらないよって思う。
そんなに簡単に理解されてたまるか、って思いますよね(笑)


たとえば、さっきの高齢者の話で言うと
おじいちゃんを一番幸せにできるのは
どんなに素晴らしい政策よりも一人の「孫」だったりする。

「数字」は動かせなくても、この一人と一人の関係で
人って幸せな生活を実現できたりするものなのかもしれない。

そして個人の自然な生活の中には
「地域活性化」なんていう言葉はない。

田舎を訪ねてみても、地域にいる人たちは
「おれたちの集落よくしたいよね」とか
「子ども達のためにがんばろうよ」とか
「あの人が元気ないからなんとかしようよ」とか
もっともっとシンプルだ。

自分の中に、地域の誰かが入ってきて
なんとかしたいと思って動き出す。


水俣の吉本哲郎さんも何度か、
「その言葉、ばあちゃんも使ってるのか?」って
おっしゃっていた。

本当に地域のことを思って「活性化」するのなら
地域に住み、その地域を育んできた人たちの言葉を
大切にすることも大事なのかもしれない。

みんなが使っている言葉の中には
地域の温度とかリズムがある気がしている。
所詮言葉ではあるけれども、
その人たちの想いは凝縮されているかもしれないから。

そんなことを考えています。

1 件のコメント:

  1. 松浦 伸也2009年9月20日 8:29

    前回と今回の日記。強く考えさせられました。
    外部からのお金のやり取りのない活性化は、まず『人のつながり』と最低限の『僕らのわきまえ』と『長いお付き合い』の前提の上にしか成功しないと思います。
    たらたら書いたことを全部まとめたらこうなりました。
    富山、参加できなくてごめん。
    論文や実験が落ち着いたら、呑もう。
    また話聞かせてください。
    くれぐれも体に気をつけて
    かしこ

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