「見えないものを見るツアー」のレポートの続きです。
はじめての人もいましたが、
みんなで掃除をして、記念撮影をしたあとは
柚子の村・入河内へ移動。
赤岡の町やひろめ市場などを案内してもらったのですが
「見えないものを見るツアー」
レポートを読んでいただけたら
そのコンテンツの充実さが伝わると思って(願って)います。
ただ、ここでは伝えきれていない
大きな「心」の動きが存在しました。
それは学びと言い換えてもよいものだと思います。
「見えないもの」 これを一言で言い換えるとしたら
「つながり」 だと思います。
(これは僕の一意見です)
都会には"消費"しかありません。
加工、販売、マーケティング、広告、流通・・・
いろいろな仕事がありますが、
その多くは生産されたものを扱うものです。
それゆえ僕達が東京にいて普段口にするものは
加工された場所や、
販売している会社や、
広告代理店のことは知っていても、
その手前の"生産"の部分については分からない。
たまに生産者の名前や顔が書いてあったとしても、
それは単なる情報としてのものであって、
現実的には生産と消費は分断されています。
きっと江戸時代には既に
都市と農村の住み分けはあったのだと思うし、
それによって享受してきたものもあると思うので
分かれていること自体は、なんら否定しようとは思はないのですが・・・
ただ、
都会の生活に慣れきってしまった
僕らにとってはその"つながり"を知ることで
人生を見つめ直すような機会にも成り得ると思うのです。
少なくとも、ぼくは半年間の旅で経験したし、
今回一緒に旅をしたみんなも同じような感想でした。
自然薯を掘る時、全部は取らない。
茎を一本残しておく。
むかごを植えておく。
未来のために。
そんな暗黙の了解があって・・・
それは自然とのつながりであり、
時代を超えたつながりでもある。
今回出会ったあるおばあちゃんは
終戦後に満州から引き上げてきた時に
柚子の木を植えたのだといっていました。
柚子はすぐには実らない。
先人が大切に育ててくれたものが今、実をつけている。
これは林業にもいえること。
そこには目には見えない「つながり」があって、
それによって生かされているんです。
当たり前のことだけど、
普段都会の中で意識することは難しい。
あと、
「どうしてこんなに大変なのに自然薯を掘るの?」
と、ふくちゃんに質問したとき、
「ぼくが掃除をしても家族はそんなに喜ばない。
でも、自然薯は自分しか取れないし、
自然薯を持って帰ると家族が喜ぶから...」
そんな風に答えた。
家族に貢献するために、
3時間掘っても、1m掘っても出てこない自然薯をわざわざ掘る。
このことに、
ぼくはガツンとやられました。
「つながり」を大切にするというのはこういうことだよなぁ・・・と、
全然実践が伴っていない自分を省みました。。
ちょっと褒めすぎかもしれませんが(笑)
ふくちゃんと一緒に海や山を歩くと、
生きる知恵と技術を持つということのすばらしさ
「つながり」を見ることができることの豊かさに気づきます。
本当の意味での田舎の価値を改めて教わった気がします。
そして高知の皆様、
本当にありがとうございました!
また高知ツアーはまた開催する予定なので
みなさん、興味のある方はご連絡をお待ちしております♪
※旅のことが読売新聞・朝日新聞で取り上げられました!
朝日新聞 「週刊まちぶら」
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000140912070001
※参加者 しょーこちゃんのレポート
https://www.kochitabi.net/w3798534/archive/1
※旅の振り返り飲み会「ディナートリップ」も大盛況のもと終了しました♪
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